女性であることは不利?
ところが子供は風邪をよく引き、
そのたびに会社に「お休みさせてください」と私は上司に伝えると、
「子持ちはあてにならない」とチクリと毎回言われました。
子持ちはこの業界では一人前以下なんだ・・・。
と自分が女性であることをとても悔やみました。
女性でも仕事ができることを上司に認めてもらいたい。
子育て中の女性であることを言い訳にしたくない。
と私は今まで以上に仕事をするようになりました。
すると、風邪を引いたり、まとわりつく子供が
私はだんだん邪魔に感じるようになりました。
「おかあさぁん」と子供が近づいてくると
「もう、なによ!」
「あとで!」
「邪魔、来ないで」
とヒステリーのように叫んでは、
夜になって子供の寝顔を見ながら自己嫌悪する日々が続きました。
男性中心のルールから家族優先ルールの働き方へ
当時、建設業の世界は、男性社会でした。
その中で認められるには
男性のように働いて、男性に勝ち、
成果を出さなければいけないと思い込んでいたのです。
しかし、子育てや高齢の夫の親との同居、
家事、近所のおつきあい、
子供の三者面談など
母親としての役割や
妻やお嫁さんとしての役割も
私は大切にしたかったため、
常に葛藤を感じながら
フルタイムで仕事をしていました。
そんなある日、
私は、ふと「私にしかできないことってなんだろう?」と考えました。
会社はいくらでも私の代わりはできるけれど、
「お母さん」
と呼んでくれる人は
この子にとって私しかいないんだ。
もう誰かと戦いながら生きるのはやめよう。
人から認められるために仕事をするのではなくて、
一番自分自身が納得できる生き方をしたい。
そう思ったときに
「会社を辞めよう」と決意できました。
そして、大切な子供の生活を中心にして働ける
「起業」のライフスタイルに切り替えたのです。
ところが
起業をしてからは、
女性の起業について
きちんと学べる教科書もあまりなく、とても苦労しました。
女性目線の起業の教科書がない!
「何をどのように判断して行動するべきなのか?」
「売上をあげるためにまず、何からはじめなくてはいけないのか?」
こういった基本中の基本がまったくわかっていませんでした。
当時、起業に関する情報は、
男性経営者向けのセミナーしかなく、
試しに参加したものの、
難しい用語ばかりで
チンプンカンプンでした。
結局、頼りになったのは
図書館にある「起業」の本だけでした。
その本も、男性が書いた難しい言葉が並んでいて
子育て中の女性が
すぐに理解できるレベルのものではありませんでした。
まだインターネットもない時代だったので
女性の起業についての情報は
とても乏しく
売上をあげるために具体的に
何から手をつけたらいいのかわからず
とても心細く、不安と焦りの気持ちでいっぱいでした。
不安と後悔で心揺れながらも8ケタの売上達成
誰にも相談できず
子供が寝静まった夜中に、
不安と孤独におびえてひとりで泣く日が続きました。
あのまま会社で続けていたほうがよかったかも。と
何度も後悔の気持ちが頭をよぎりました。
自分で決めたんだから
やらなくちゃ! と勇気を奮い立たせ
保育園に子供を預けている
9時から3時の間だけは仕事の時間と決め、
とりあえず、売上をあげるために
「下手な鉄砲 数打ちゃ当たる」
の精神で飛び込み営業を毎日続けましたが
仕事がなければ、失業者同然でした。
仕事の依頼がしばらくない時期は、
やる気も起きず
家の布団をベランダで干しながら
「私、何をやってるんだろう?」って落ち込みました。
公務員の妻なんだから
無理に働かなくってもいいでしょ?と
陰で言われもしました。
後ろ盾がなくても、看板がなくてもできたという自信!
それでも、私は「○○さんちの奥さん」
「○○ちゃんのお母さん」だけではない
「ひとりの人間として世の中の役に立つ意味」を
どうしても見つけたかったのです。
失敗もたくさんしました。
今思えば自分のことしか考えておらず
知らないうちに家族や周りのひとたちに
迷惑をかけてきたこともたくさんあります。
そしてついに、いろいろな方の協力をもらって
月1000万円という売上を達成することができました。
うしろだても、看板がなくても、子育て中のママでも、
ここまでできる!と自信になりました。
子供が4歳と2歳になった頃でした。
そんなある日、子育てのために専業主婦になったママ友から悩みを聞きました。
「あなたはいいわね。義理のお母さんがいてくれるし起業して働けるから・・・。
私は30歳の壁があって、再就職したくてもできないのよ。」
私はその言葉を聞いて
「母という役割を大切にすると、
社会から取り残されてしまう社会って
なんかおかしいんじゃないかしら?
子育て中でも母として誇りを持ちながら、
自分の才能が社会の役に立つことが実感できて
将来、起業や再就職の準備ができる
働き場所があってもいいのに!」と思いました。
そんな理想の働き場所が近くにないか
調べましたが
どこにもありませんでした。
母という役割を大切にしながら働ける場所を創るチャレンジ!
世の中にないなら、未熟かもしれないけど私がやるしかない!
そう思ってママのママによるママのためのNPO(ソーシャルビジネス)を立ち上げました。
私がこれからやろうとしていることを話し、
その理想に感化された地域のママたちが集まってくれました。
私は、集まってくれたママたち一人一人に向き合い
それぞれが持っている好きなこと、得意なことをヒアリングし
一番その人が好きなことで、かつ人の役に立てると思うこと
を実現するために共に行動していきました。
まずはじめに手がけたのは地域に
まだほとんどなかった
一時預かりの託児事業でした。
結婚出産前に身につけた保育経験や保育士免許を持った
ママたちがスタッフになり
ワークシェアリングしながら
自分の子供を連れてきてもOKの継続的に働ける場所をつくりました。
ママたちと話し合って、ルール、料金、サービス内容、
シフトの組み方などをオリジナルで作っていきました。
働いているスタッフの子供さんが急に熱を出した時は、
いつでもほかの人が代わってあげられる
支え合い、たすけ合いのhelpメールシステムを
つくりました。
自分たちの作った組織で
自分たちが作ったサービスを提供し報酬をいただく。
こうした経験を通して
彼女たちは、家庭のママの顔だけでなく
地域に役立つプロとしての顔に変わっていきました。
理不尽な転機は順風満帆な時にやってくる!
こうした私たちの活動を新聞で知った
企業や行政、学校も徐々に協力を申し出てくれました。
最初は数人で始めた事業でしたが、
ファンが増え、企業さんをぐんぐん巻き込み、
地域との強固な信頼関係を作ることができました。
3年で3店舗の託児ルームを30人の有給スタッフで
補助金や助成金に頼らない自立運営ができ
年間8ケタの収益を出するまでに成長しました。
こうした私たちの活動を
県から優良コミュニティビジネスとして表彰されました。
順風満帆だと思われた矢先、
スタッフと運営者側との意見の対立が起き、
組織がぐちゃぐちゃになりました。
信頼していた仲間から、
「ここにサインをすれば裁判沙汰にはしない」
といわれ、辞任届にサインをしました。
サインをした瞬間、私は
今まで作り上げてきた
実績
看板
肩書き
組織
仲間
お金
すべて失ってしまいました。
ゼロから立ち上げた組織なのに・・・
なんでこんな仕打ちを受けなければならないの?
私は、私を追い出した人たちを憎みました。
状況が受け入れられず、
くやしくて最初はすべて誰かのせいにしました。
誰かのせいにしていると、どんどん人生が転落していきました。
あるとき、ふと思い出したのです。
追い出される一年前頃から始まっていたモヤモヤした感情を・・・。
マイナスからの再出発!
私はうまくいった成功を
さも自分が一人でやり遂げたかのように思い
スタッフへの感謝も忘れていました。
自分が組織のリーダーとして
次の一手のイメージを描けず
何をどのように考え、何を基準に判断し行動したらよいのか
全くわからなくなっていたことを思い出しました。
自分が成功に酔いしれた時から
すべての歯車が狂い始めていったことに気づいたのです。
30人のスタッフをかかえていたにもかかわらず
個人からリーダーへの脱皮ができず
リーダーが当然もつべき
マネジメントの知識と勇気が圧倒的に欠けていたのです。
捨てる神あれば拾う神あり
今まで人のせいにして、自分のやるべきことをやらないでいた
卑怯な自分がいたことを心の底から反省しました。
そこで、私は一大決心をし
もう二度と人のせいにすることをやめようと決めたのです。
ちょうどその頃
マネジメントの大家「P.F.ドラッカー」の本を知人から紹介されました。
苦手なマネジメントについて1から勉強し始めました。
それはとても難解な本でしたが
言葉が難しくて何度も何度も読み込んだ本
その本を紹介してくださった方の手ほどきを受けつつ
実践をしていきました。
こうした知識を知れば知るほど
今までの自分のやりかた
「直感」と「どんぶり勘定」だけの
マネジメントの
危うさを知りました。
女性目線の愛され共感され繁栄し続ける起業を創る教科書!
起業で10年後に生き残る確率は1割以下
というデータがあります。
「女性の起業」と世間で叫ばれているけれど
起業を成功するための基本的な考え方と技術を
知っている人はほとんどいません。
だから失敗してしまうのです。
私は、自分の経験と新しく学んだ知識の実践を
通して、女性の目線でわかりやすく表現した
起業の教科書になるものを仲間と一緒に作りました。
今は、起業について
さまざまな情報が提供されています。
けれど、私がそうだったように
女性の起業は「起業」だけを日々の生活から切り離して
成り立つものではありません。
価値観や生き方、
家庭というバックグラウンドが
土台にあって「起業」が成り立つからです。
それは今も昔も変わらない事実です。
How toを学ぶことも大切ですが
もっと根本的に大切にしたいもの、
自分の生き方と仕事を
どのようにしていきたいのかという
その人の意思や内面と対話することなくして
起業の成功はありえないと確信したのです。
辛かったあの頃に欲しかったサービスをあなたと共に!
誰とも戦わないビジネスを創り
お客様に愛され
共感され
繁栄しつづけるための
最大のヒントは
あなたの生きてきた過程に
あります。
数多くの女性起業家に教え、
また自分自身も
失敗と成功につながる考え方の違いを
学び経験してきました。
そんな私だからこそ
女性の置かれた状況や悩みに寄り添い
理解し
忍耐強く励まし
男性言葉のマネジメントを
女性にわかりやすく翻訳して伝え
誰もが簡単に思考を整理・見える化し
自分で答えを発見軌道修正できるワークを
提供していきたい。
あなただけにしかできないオリジナルビジネスを組立て
愛され共感され繁栄しつづける起業家を輩出していきたい。
子供が寝静まった夜中に、
不安と孤独に怯えてひとり泣いていた
あの頃自分が欲しかったサービスを
つめこんで
みなさんにお届けし、
成功の喜びを分かち合いたいと心から願っているのです。
大河内奈緒美
<<プロフィール>>
大河内奈緒美
心の煌めきを磨く志プロデューサー
有限会社GMT / 煌麗塾 / フィードバックシステムラボ(FSL) 主宰 /
ドラッカー学会会員
資格:二級建築士 教諭免許 / 趣味: 編み物 料理 読書
経歴
1991年 資材販売・リフォーム会社就職
リフォーム事業部にて営業・設計・積算・現場管理・集金まで一貫して行う。
1998年 仕事と子育ての両立に困難を感じ退社
自分らしい働き方を求めSOHOとして独立
建築士・ICとして個人宅および企業からのリフォーム工事請負
女性目線からの建設業HP企画提案サポートを行う
保育園に子どもを預けている時間(9時~3時)に営業、月1000万の売上を達成
2000年 自らの独立経験をもとにNPO設立。同年 有限会社設立
地域の女性力活用 民間主導型 託児ルーム3店舗運営
年間1400万円の自立運営を行う(補助金0円)
2005年 日本国際博覧会 市民プロジェクト「世界子ども交流プロジェクト」プロジェクトリーダー
鶴城小学校5年生と連携 外国人との共生を考える地域課題を世界へ
2008年 NPO卒業
2010年 女性のための起業指南書 執筆業に専念
2012年 「シバ&リカのプチ・エンジェル経営者シリーズ」3冊を仲間と著す
2014年 女性が女性らしく誇りをもちながら、夢を実現するための煌麗塾設立
ソーシャルコミュニティビジネスの立ち上げおよび運営支援
コンサルティング/ セミナー/読書会 /早朝ドラッカー読書会
小さな会社むけ社員研修プログラム開発・提供
成果を出すためのセルフフィードバックシステム他
<海外経済ネットワークづくり>ラオスミッション参加 ラオス大学交流
<海外女性ネットワークづくり>ラオスチェンマイNGOカルチャーネットワークセンター開所式サポート
公的機関受賞・認定経歴
平成14年 愛知県男女共同参画支援セミナー修了生
平成16年 西尾市男女共同参画審議員
平成20年 愛知県コミュニティビジネス優良モデル事業者表彰
共著書籍
「シバ&リカのプチ・エンジェル経営者はじめの一歩 志 時間 勇気」
「シバ&リカのプチ・エンジェル経営者はじめの一手 信 自由 正義」
「シバ&リカのプチ・エンジェル経営者はじめの一念 念 縁起 繁栄」
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